RPG


 やっと、やっとだ。
 男はごくりとつばを飲み込んだ。
 見上げた先には、硬質な銀色の扉。
 この向こうに、あいつがいる。
 扉は動かない。
 取っ手にかけた手は、動かない。
 男はひとつ深呼吸をした。
 ぽん
 唐突に肩を叩かれる。
 振り向いた男の先には、ところどころ擦り切れて、疲労して、それでも頼もしい仲間たちの笑顔があった。
 彼らがうなずく。
 男もうなずいた。
 長い戦いは、これで終わる。
 そう、この扉の向こうに存在する、哀れな男を倒せば、終わるのだ。
 男はゆっくりと手に力をこめた。
 重々しい音を立てて、扉が開いてゆく。
 薄暗い室内に、光が差し込む。
 その中で、目を閉じて座していた男はゆっくりと瞼を上げた。
 侵入者を認めると、薄く笑う。いや、嗤う。
 ことさら重々しく立ち上がると、大仰な仕草で腕を広げた。
「ようこそ、わが息子たちよ」
 問いかけられた彼らは、無言で、武器を構えた。
「……もう、終わりですよ。博士」
「……いち」
「私を殺したところで、どうにかなると思っているのかい?」
「ゆういち!」
「そんなことは、やって」
「雄一! いい加減にしなさい!」




 ブツン




「うわぁあああああ!」
 目の前が真っ暗になる。文字通り。
 強制的に電源を抜かれたゲーム機は、あっさりと沈黙した。
 目の前にはブラックホールの如き暗い暗いTV画面。もうそろそろ青くなるかもしれない。あ、ビデオ1って表示が出てきた。
「なにすんだよ! もうすぐラスボスだったのに!」
「知らないわよ。呼んでも返事しないでいつまでもゲームばっかやってるあんたが悪い」
 俺にとってのラスボス、母ちゃんがにべもなく言う。うぅ、不機嫌なオーラがびしびしと俺にプレッシャーをかけてくる。だが俺は負けない。志半ばにして倒れた彼らのためにも、負けてたまるもんか。
「だからっていきなり電源抜くことねーだろ! 壊れたらどうすんだよ! つーかセーブしてなかったのに!」
 俺の数十時間を返せ。今すぐ返せ。俺がこのRPGをクリアするためにどれだけの血と涙を犠牲にしたことか。
「その数十時間で、宿題と予習復習は終わったんじゃないのかしら?」
 敵は血も涙もなかった。
 敗北だ。完全敗北。
 だが俺は、最後の足掻きとばかり、それはそれはささやかな反撃を試みた。
「……くそばばぁ」
「……なぁに、雄一? 聞こえなかったわ」
 そう言いながら、母上様の手は拳骨の形を成していく。
「ぷっ」
「え、あ、いや、その……」
「く……くくくっ」
「うふふ。雄一君。覚悟はいいかしら?」
「くく……はははははは」




 ブツン




「うるせーぞ長嶺! 笑い事じゃねーんだぞ!」
 堪忍袋の限界がきた俺は、ばしばしと肩を叩いてくる男の顔に拳骨を送ってやった。
 あっさりと避けたヤツはまだ笑っている。悔しいことこの上ない。
「いや……お前の家族サイコー。つかお前がサイコー」
 ぶるぶると肩を震わせながら、長身を折り曲げて笑っている。
「くそっ」
 俺は悪態をつくと、そっぽを向いた。
 長嶺はまだ笑っている。よっぽど今の話がツボだったらしい。
 俺は憮然とした表情で黙々と歩みを進める。
「なるほどなぁ、それでお前そんなデカイ湿布貼ってるわけだ」
「るせー。これはただのファッションだよ」
 悔し紛れにそんなことを言いつつ、左ほほの湿布をさする。涙が滲むのは痛みの所為ではない。湿布の薬品が染みたためだ。
「あぁ……俺の、十六時間……」
 呟きに、長嶺はご愁傷様と手を合わせた。笑いながら。憎らしい。
 ふと、そんな長嶺が大きな荷物を持っていることに気づく。
「それ……」
 俺の視線に気づいた長嶺が、ああ、と荷物をゆすった。
「これか? 新しい絵だよ。今度の品評会に出そうかと思ってな」
「そういやお前、芸大志望だったか……」
 ふと無言になった俺に長嶺が視線を送る。
 俺は苦笑した。
「だめだな俺。お前みたいに将来のことなんて考えてねーや。毎日毎日楽して楽しければいいかなって。逃げてばかりだ……」
「桂木……」
 長嶺がじっと俺の目を見てから、片手で顔を覆った。
「間違ってる」




 ブツン




 今まで俺たちに降り注いでいたスポットライトの光が消えた。
 続いて室内全体が明るくなる。
 肩を怒らせた女が、どすどす音を立てながらやってきて、俺の頭を丸めた台本で叩いた。
 ばこん
 割かしいい音がした。うん。痛ぇ。
「もー! そこはさっきセリフ変えたでしょ! 文化祭まで時間ないんだからしっかりしてよ!」
 われらが部長兼監督のありがたいお言葉である。
「悪かったって……でもだからって叩くことねーだろ?」
 俺は叩かれた頭をさすりながら抗議してみる。すると部長は鼻で笑った。
「だってイライラしてたし」
「俺はストレス解消のサンドバックじゃねーぞ」
 即座に突っ込みを入れる。まったく持って横暴だ。おしとやかにしてればそれなりにかわいいのにもったいない。
 こちらとしてもちと頭に来たので反論してみる。
「だいたい、時間ねーならセリフ変えんなよ」
「なによ。より良い劇にしようとする私の努力にケチつけようっての?」
 むっとした部長が俺を睨みつける。こちらも負けじと睨み返してやる。一触即発めいた緊張がしばし空間に漂う。
「ああはいはい。喧嘩するほど仲が良いってね」
 そんな空気を読む気など微塵もない長嶺が、飄々とそんなことを言ってのけやがった。
「「違う!」」
 思わず顔を見合わせる俺と部長。長嶺のしてやったりという顔。
 ほんっとに憎らしいヤツだなこいつは……。
「ヘイカモンエヴィバディ。今日も俺と君との熱い夜がやってきたぜ」
「ああもう、何でもいいからさっさと続き! 続き!」
「さぁて、今週のテーマは『恋愛』。みんなの恋バナ咲かせないか?」
 部長の顔が少し赤かったのは、たぶんきっと俺の気のせいだ。




 ブツン




 どうでもいいDJがどうでもいい話を始めそうだったので、俺はラジオの電源を切った。代わりに自分で入れたお気に入りの音楽を流す。
 今どきの高校生が、音楽聴くのにiPodも持ってないってのはどうかと思うが、今のところ愛用のプレーヤーでこと足りているので当分購入する予定はない。
 むしろ、特定の音楽よりもラジオをだらだらと聴くのが好きな自分としては、iPodを持っても宝の持ち腐れとなりかねないのである。
 好きな曲って言っても、一アーティストにつきせいぜい二・三曲。知ってるアーティストは十にも満たないといえば、その持ち腐れ加減も分かってもらえるのではないかと思う。
 それにしても部長と長嶺には困ったものだ。
 あの後何度もセリフを変えられるわ、長嶺が茶々を入れてくるわで練習は遅々として進まなかった。
 お陰さまで劇中の俺よろしく俺の体には湿布がいくつも貼られている。そのほとんどは、長嶺の余計な一言に反応した部長の八つ当たりである。泣いてもいいよな、俺。
 下校時刻などとっくのとうに回ってしまっている。
 空はすがすがしいまでに漆黒だ。
 文化祭までこれが毎日続くのかと思うとげんなりする。
 しかしまあ、部長の「よりよい劇を」という向上心は、部員のみんなにも伝わるようで、確かに練習始めよりみんな良くなっている。
 長嶺も何だかんだで良い空気を作るのに一役買っている。
「俺も、頑張らねーと」
 ザ――……
 不意に、何か明るいものが俺の視界を奪った。
 ザ――――――……
「え……?」




 ブツン




「……目が覚めたか、TH―023」
 瞼と呼ばれる器官を持ち上げて、レンズを動かすことでそれの肯定に変える。映像が飛び込んでくる。処理。処理。解析。これは有機体。ヒト。
 目の前のヒトとメモリで合致するものを照合。合致。スピーカーからその識別名を乗せる。
「イエス。マスター」
「これからは先生と呼びなさい。彼の記憶のインストールは済んだかね?」
 識別名リライト。マスターからセンセイへ。質問内容把握。回答。
「イエス。センセイ。メモリに異常はありません」
「それは良かった。……おい、そのゴミを片付けてくれないか」
「はい」
 容れ物から取り外され、銀の盆に載せられた薄黄色いやわらかそうなそれは、ハリネズミのようにびっしりと針が突き刺さっていた。助手は一つ一つ電極を丁寧に抜くと、残ったそれを台車に乗せ、放置されていた容れ物ごと、廃棄場へと無造作に運んでいく。
 男はそれを見ずに、しきりと少年に話しかける。
 少年は無表情に、淡々とその問いに答える。
「TH―023、これから君の識別名は『桂木雄一』だ。わかったね」
「はい。センセイ」
「安心しなさい。君は私の最高傑作だ。時間さえかければ、人間と同じように振舞うことが出来るようになる」
「はい」
「ご両親には、事故のショックで脳に影響が出てしまったためか、一時的な退行が見られると伝えておこう。なに、あれだけの大事故から生還したってだけで、両親は御の字をくれるはずだ」
「はい」
「……なんだ、これ」
「わかったね。『雄一』くん? ……では、眠りたまえ」
「なんなんだよ、これは!」




 ブツン




 俺は力任せにモニターの電源を切った。
 馬鹿みたいに鼓動が速い。速い? 本当に?
 ただそう、思い込んでいるだけじゃないのか?
「信じられないでしょうけど、これが真実よ」
 後ろで女がしゃべっている。黙れ。黙ってくれ頼むから。
 ……信じたくない。信じられるわけがない。
 俺がもう死んでいて、今の俺はただのロボットだなんて。
 そんな馬鹿なことがあるわけがない。SFはフィクションだから面白いんであって、それが現実に起きるなんて冗談じゃない。
 ああ、でも。
 俺は、識っているんだ。
 確かに昔、こんな場面があったと、覚えている。
 なんてことだ。一番否定したい俺が、まさかこの俺の存在自体が、それを真実だと肯定してしまっている。
 だってほら、胸。
 こんなに、こんなに鼓動の音が聞こえるのに。
 動いていない。動いていないんだ。振動が、伝わらない。
「……わかった? あなたは人間じゃないの」
 振り向くと、女が目を伏せていた。少し驚く。こいつが表情を変えたのを初めて見た。
「そして、私も……」
 女がゆっくりと、左の頭部を覆っていた包帯をはずしていく。
 そこから現れたのは、無骨で硬質な、とても生命を宿しているとは考えられない冷たい金属だった。
「う……わ」
 思わず後じさる。その姿に気圧された。
 女は恥ずかしそうにうつむくと、こちらに手を差し出した。
「……私は、私をこんな姿にした博士を許せない。人間としてちゃんと終わらせてくれなかった博士を許さない。あなたは、どう?」
 俺は、その手を




 ブツン




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