俺の彼女は人間じゃない。
その答えに辿り着いた俺は、胸焼けするほどもやもやと溜まっていた憂鬱が、台風の過ぎ去った空のようにからっと晴れたのを感じた。
全身の力を抜くように、大きく深く息を吐く。
わかってしまえば簡単なことだ。
彼女は人間じゃなかったんだ。
きっとはたから見たら、俺のこの突拍子も現実感もない答えにあきれてしまうのだろう。
むしろ「頭は大丈夫か?」と真剣に心配されてしまうかもしれない。
しかしこれが事実なのだから仕方がない。
そりゃ、俺だって信じられないさ。
いや、信じられなかったさ。
『人間じゃない』ってことは、すなわち『人間外』ってことだろう?
ということはだ、俺の彼女は人間以外の何か別のイキモノだってことになる。
例えば動物。例えば昆虫。例えば草木。
けど、彼女は少なくとも外見は人間なんだ。これが。
さあて、ここからなぞなぞタイムだ。
準備は良いかい? 俺の脳内仮想他人。略して俺。
さあいくぜ。待ったなしだ。
『人間だけど、人間じゃない』
それってどんなイキモノだ?
答えは単純で明快。なおかつ簡単。
しかししかし、困ったことに俺たちはそれを認めたくないんだ。
だからこそ俺も延々と悩む羽目になっちまったんだなぁ。
答えは目の前にあるって言うのに。
さあ言ってごらん。戸惑う必要なんてない。
だってそれが正解なんだから。
……幽霊? 妖怪? 宇宙人? UMA?
いやいや。もっと簡単で、なおかつそれらを総括する言葉があるだろう?
……そう、バケモノさ。
俺の彼女はバケモノ。それが正解100点満点。先生花丸あげちまうぜ。
いやぁ、それにしても泣きたくなるね。
街中で一目惚れしてそれはもう血のにじむようなアプローチを経て、やっとお付き合いできるようになった彼女の正体はなんとバケモノ!
こんだけ悲劇的な男もそうそういないんじゃないかな?
今流行のブログとかで書いたら、俺一躍有名人の仲間入りするんじゃね?
ネットの口コミで広まって、ついに書籍化! 更には冬に映画化・来春にはドラマ化が決定! なんてね。
まあ、文才ないし、そもそも日記とかまともにつけたことのない俺じゃ無理だろうけどな。
ってか、そんなことしたら彼女がメン・イン・ブラックとかCIAとかに捕まってあんなことやこんなことされちまうに違いない。
そんなの俺許せないね。だって俺の彼女だもん。ポッと出の男に奪われてたまるかってんだ。
何せ俺は彼女が好きだ。愛してる。
そう、彼女がバケモノでも愛せる自信がある。
ここ、重要ね。試験に出るから。愛の試験。
愛ってのは貰うもんじゃない。惜しみなく与えるもんだろう?
だから俺は、『許し』って愛を彼女にめいっぱい注いでやるのさ。
隠し事してたことへの許し。
バケモノだってことへの許し。
今まで俺に嘘ついてたことへの許し。
作りに来る手料理がクソ不味いことへの許し。
エトセトラ・エトセトラ。
いやぁ、俺っていい男だよな。
彼女が重大な隠し事してても許してやるんだもん。
これほどいい男はそんじょそこらにはいないぜ。
……惚れるなよ?
俺に惚れたら怪我するぜ、アンタ。
っつーか、あれだな。惚れても応えてやれねーぜ?
なんてったって俺は今彼女持ちだ。
その彼女を裏切るような真似は出来ないね。
……。
……まあ、でも、ちょっとくらいなら付き合ってやらんこともないかもしれないな……。
っとと、口が滑った。
ダメダメ、何言ってもだぁめ。
俺は今彼女一筋なの。
他のオンナはお呼びじゃないんだ。悪いけどな。
何、男?
うっげ、もっとダメに決まってんだろうが!
そりゃあ、俺はかっこいいよ?
そんな俺に惚れちまうってのもわからなくはないさ。
だが男はごめんだね。
告白でもされたら卒倒できる自信があるぜ。
……。
何だよ。
いくら見つめても何もでないぞ?
ましてや男ならな。
……。
……あー……まあ、あれだな。
外見が良くって気に入ったらあるかもしれないけどな。
でもそんなの滅多にねーし。
大体、さっきから言ってるだろ?
俺は彼女一筋だってな。
さて、こうして俺は彼女の秘密を知ってしまったわけだ。
この後の行動って言ったら大きく分けて二つあるよな。
つまり、言うか、黙るか。
アンタだったらどうする?
彼女に伝えるか?
それとも黙って心の奥にしまっておくかい?
悪いが俺は正直者だ。良くも悪くもね。
変に黙っていたら、彼女との仲がギクシャクしちまうに違いない。
大体俺は嘘をつかれるのが嫌いだ。
それに、せっかく正体の分かった彼女をそのまま『人間』として扱うのもかわいそうじゃないか。
『人間』として振舞うなんて、さぞ窮屈だろうに……。
そんなやさしい俺を彼氏に持てた彼女は本当に幸せもんだよな。
ちょっとショックではあるが、俺は今後も彼女と良いパートナーになれる自信がある。
愛の力って偉大だよな。
ま、そんじょそこらの男にはできないだろうけどな?
「と言うわけだ。小夜子、俺に隠し事なんてしなくていいんだぜ?」
そう告げると、小夜子は一瞬ぽかんとした顔をすると、思いっきり顔をしかめた。
彼女のことを思うといてもたってもいられなかった俺は、気がついたら家のリビングで遅い夕食を取っていた彼女を前に、考えていたことを一気に喋っていた。
愛の力って、ホントにすげぇ。
それにしても何でそんなに厳しい顔をしてるのかがわからねー。
正体がばれたのがそんなに辛かったのか?
俺が首をひねると、彼女は盛大にため息をついた。
「……馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、ここまでとは思わなかったわ」
なんともひどい言い草じゃねーか。
せっかく俺が受け止めてやろうというのに、馬鹿と来たよ。
俺はちょっとむっとして彼女を見た。
「何だよ」
「……本気?」
「当たり前だろ?」
即座に返すと、彼女はソファに深く身を沈めた。
「……じゃあ聞くけどさ、何で私がバケモノだとか思ったわけ?」
心なしか怒気がこもっているような気がする。
正体がばれたのがよっぽど悔しいらしい。
俺は少し得意になりながら指折り数え挙げてやる。
「まず小夜子と会うときはいつも暗くなってからだろ? それって太陽の日差しが天敵だからじゃね? 教会とか行こうとしても絶対近寄らねーし。それからいつもニンニク料理避けるじゃん? あといつもワインとかトマトジュースとか赤いのばっかり飲んでんじゃん? 作ってくれるのはありがたいけど料理はまずいし。それから……」
そこまで言ったところで、彼女が片手を挙げた。
ストップと言いたいらしい。
もう片方の手は顔を覆っている。
「もういいよ。そうか、なるほどね。それで私がバケモノとか思ったわけだ」
「ああ」
俺は重々しく頷いてみせる。
ここまできたらもう言い逃れできねーだろ?
こんなに証拠がそろってんだからさ。
「因みに、私を何だと思ってるの?」
「愛しい愛しい俺のバケモノ。ってか吸血鬼?」
「いっぺん死ね」
そういって彼女は、思いっきり振りかぶった平手を俺に打ち込んだ。
「……いってぇ……」
ひりひりとほほが痛む。
俺の顔の左側には、それは美しい紅葉が咲いているに違いない。
ん? 紅葉って咲くものか?
「だまらっしゃい。彼女をよりにもよってバケモノ扱いした罰よ」
「はい……」
俺は彼女の前に正座させられている。
「いい? これからアンタの馬鹿げた妄想を一つ一つ丁寧に潰してあげる」
「お願いします」
不承不承頭を下げる。
怒った彼女は、怖い。
たぶん、俺が今まで生きてきた中で一番怖い。
「まず夜しか会えないのはお互いの生活環境の違いから、たまたまよ。私は毎日夕方まで働いてるし、アンタもそれは同じでしょ? 休日にしたって、いつもお互い都合が悪いんだから仕方がないじゃない。その件に関してはお互い納得してるはずじゃないの」
「おっしゃるとおりです……」
因みに彼女はこう見えて学校の先生だ。
こんな暴力教師、よく問題にならねーよな。
うわ、にらまれた。くわばらくわばら。
そんなわけでアフターファイブにしか会えないし、休日もクラブだ何だとあまり時間が取れないらしい。
俺のほうで時間を作れれば良いんだが、そうもいかねーんだな。これが。
いやはや。モテる男は辛いね。あくまでも俺が愛してるのは彼女だけだけどさ。
「アンタは知らないかもしれないけど、太陽の下で思いっきり肌さらしてるわよ私」
彼女は鼻を鳴らして俺を見下ろす。
うーん。よく考えてみればそれもそうだ。いくら音楽教師とはいえ、集会だ何だと外に出る機会はあるに違いない。
「次。ニンニクなんて食べたら次の日最悪じゃない。コーラスの時に先生臭いとか言われてみなさい。恥よ、恥。次、トマトジュースは健康にいいから。ワインは単なる好みよ。あと料理に関してはノーコメント。ってかどさくさにまぎれて何言ってるのアンタは! 人の気も知らないで!」
……どうやら料理については自覚していたらしい。
真っ赤になってちょっと涙目になっている。うん、かわいいな。やっぱ。
俺は彼女に見とれながら、内心胸をなでおろした。
彼女の泣き顔を見るのは辛いぜ? でも悪いことを悪いと言ってやるのもやさしさだよな?
ああ、これで無理して出された料理ってか焦げた何かを完食しなくとも済むようになるだろう。
「もう怒った。これから毎日夕飯つくりに行ってやる。流石に毎日作れば少しは上達するわよ」
「ちょ……!」
毎日来てくれるのは実は嬉しい。何せ大好きな彼女だ。
ああしかし、そんな彼女は毎日毒を盛りに来るのだ。
こんな地獄があるだろうか?
「何よ。なんか文句あるの?」
右ほほに鋭い視線を感じる。
俺は深々と頭を下げた。
「……ございません。よろしくお願いします」
……いいぜ。オーケー。こうなったら彼女への愛のために死んでやる。
逆に考えろ俺。最愛の彼女に殺してもらえるなら、それって本望じゃねぇか。
これ以上の愛の形ってなかなかないぜ? そして俺はその愛を享受することができるってこった。なんて幸せ!
……そう思わないとやってらんねーぜ。
ん、そういえば、まだ一個残ってたな。
「なあ」
「何よ。鍵かけても無駄よ? 合鍵くらいあるんだから」
「いや、それは別にいい。ってかいつの間に作ったっていうかむしろ嬉しいっていうかいつでも来て良いんだぜってかむしろ一緒に住めば」
「わかったから先を言う」
彼女の顔がちょっと赤い。ああもう、こういうところがたまんねーんだよな。
「いや、教会は?」
言った瞬間、彼女は黙って横を向いた。
……。なんだかおいしそうな匂いがするぜ。
俺は無言で彼女を見つめてみた。
彼女は向こうを向いたままだ。
しばらくそのままだったが、ふいに彼女が口を開いた。
「そ……それは……」
「それは?」
彼女の顔色がみるみる赤くなっていく。
ああもう、ホントうぶでかわいいんだ。小夜子は。
「……から」
「え?」
彼女はきっとこちらを睨んだ。
手にはいつの間にやらクッションが握られている。
あ、ちょっと嫌な予感。
「怖いからよ! 夜の教会なんて、すべからく夜の墓場じゃない! そんなとこ行きくないわよ! 馬鹿! 察しろ!」
「うぶ……わかった! わかった! すまん! ごめんなさい! だからそれをやめろ! 今すぐやめてくぐぇ」
クッションで殴られながらも、俺はにやける口元を押さえ切れなかった。
彼女の意見はまるっきし誤解だけどな。
それにしても、俺ってMだったのか。
ちょっとショックかもしれない。
でもまあ、愛があるからいいか。これもひとつの愛の形だ。俺は彼女の嗜好もちゃんと受け入れてるってことだしな。
あくまでも、耳まで真っ赤になって俺を叩いてるこの彼女限定だけどさ。
ひとしきり叩いて満足したのか、彼女は肩で息をしながらソファに座り込んだ。
息も絶え絶えに、涙目で俺をにらむ。
俺はまだ何かやっちまったんだろうか?
「……大体、レディに、向かって、バケモノとか、言うな」
「……ごめん」
どうもそれが一番ショックだったらしい。
なんという失態。俺は肝心なことを忘れていたのだ。
彼女はバケモノ、もとい人間である前に一人の女性。
『バケモノ』呼ばわりされて喜ぶわけがないのだ。
俺はばつが悪くなって、彼女から目を逸らした。
まったく、こんなんじゃ、『愛してる』なんて口が裂けても言えないじゃないか。
俺は今までの自分の行動を振り返って落ち込んだ。
穴があったらそのまま埋まってしまいたい。
沈黙。
彼女の息遣いだけが聞こえる。
俺はこわごわ、謝罪の言葉をもう一度繰り返した。
「……ごめん」
「……いいよもう、気にしてないし」
「いや、でも」
「うるさい黙れ」
クッションを投げつけられた。
強制的に黙らされたわけだ。
口ではああ言ってくれたが、やっぱりまだ怒ってる。そりゃそうか。
ぱん
彼女がひとつ手を打った。俺は思わずびくついてしまった。情けねぇ。
「はい、おしまい」
「……え?」
「とりあえず、アンタがどんだけ私のことが好きかってのはよーく分かったから、それでいいよ」
ニヤッと笑いながら彼女は俺を覗き込んだ。
だがなぁ、そんな耳まで真っ赤にしてちゃカッコつかねーって。
指摘したらまた殴られた。
今度は拳骨だった。
「ところで、何でまたアレだけの理由で私をバケモノ呼ばわりしたのよ?」
ちょっと拗ねたように問われる。
改めて考えてみると確かに、B級ホラー程度の理由付けだ。俺としたことが、まったく持って恥ずかしいったらねぇ。
俺は苦笑しながら答えた。
「いや、だって、せっかく捕まえた獲物が同類だったら困るじゃん」