ひとまね



 はいはい。どなたさまでしょうね。ちょっとお待ちくださいな。
 おやまあ。これはまたご立派な……。このような薄汚い小屋に何のご用でしょうか?
 「猿塚」? あぁあぁ、存じておりますよ。畜生とは言え、あのようなことになってしまうとは……かわいそうなことです。
 少し長い話になりますゆえ、どうぞおあがりください。なに、ここは寂しい婆の一人住まい。取って喰ったりはいたしません。たいしたおもてなしもできませんがね。ささ、どうぞどうぞ。




 むかぁしむかしのことです。この国の大宰府の町に白坂徳左衛門ってぇ評判のお金持ちがおりましてね、その娘のお蘭さんってお嬢さんがそれはもう美しい娘御だと国中の評判だったんですわ。みんなあこがれてねぇ、見たこともないくせに恋わずらいになっちまった男が何人もいたとか。そんな男の一人に隣町の葉森次郎右衛門ってぇ……今風に言うとぷれいぼーいというやつでしょうかね。その次郎右衛門がお蘭に深く入れ込んじまってね、お蘭のほうでも気に入ったんだろうねぇ、二人は人目を忍んで逢瀬を重ねるようになったのですわ。
 そんなこととは露知らぬ徳左衛門は、もういい年のお蘭の結婚相手が見つからずやきもきしてたんです。そんなときにね、とうとう次郎右衛門、出入りの男を使って結婚を申し込みました。次郎右衛門の家は酒屋でね、徳左衛門の家業の質屋とも相性が良いと仲人もすすめて、徳左衛門も頷きかけたんですが、ここでふと次郎右衛門の宗旨を尋ねました。というのも徳左衛門は法華宗だったんですよ。今はどうだか知りませんけどねぇ、むかしの法華宗はそれはもう他宗派に厳しかったんですよ。不幸なことに次郎右衛門は法華宗じゃあなかった。法華宗じゃないならどんなにいい男でも金があっても結婚は許さん、と徳左衛門は縦に振りかけた首を横に向けてしまった。その話を聞いた次郎右衛門はけなげなことに、即座に宗旨替えして法華宗になりましてな。そのことを徳左衛門に伝えたが、生まれつきでなければ信心が浅いとつっぱねましてね、しかも追い打ちにお蘭にはすでに約束した相手がいると申すではないですか。次郎右衛門は驚いてお蘭に問い合わせると、お蘭も初耳だと申します。お互い一生を約束した仲ですから、もしほかに嫁ぐことがあったら……と約束しあった翌日、お蘭は父親より縁談の話を持ち込まれます。お蘭はその場はおとなしく話を受けて、その夜に次郎右衛門と手と手を取り合ってこの村までやってきたのです。




 はい? この話が猿と何が関係があるって? これからでございますよ。




 ところでこのお蘭には日頃かわいがっていた猿がいましてねぇ、その猿が、夜中人知れず家を飛び出した二人に気づきまして、主人恋しさに追いかけて来たのですわ。お蘭も慕って付いてきた猿を追い返すのも忍びなく、次郎右衛門と共に二人一獣、粗末な小屋で暮らすようになったのでございます。お互いお坊お嬢でございますから、好きあっているとはいえ日々の暮らしは厳しいものでございました。猿も畜生なりに主人の苦労を察し、薪を取ったり、竈の用意をしたりと二人の負担を軽くしようという姿には滑稽ながらかわいらしいことであります。夜になると肩を揉み、朝になるとお蘭のやつれた姿に涙する……物こそ言えませんがねぇ、人と同じように気配りをする猿を心の慰めとし、夫婦はつらさを忘れて月日を過ごしておりました。次の年には子供も産まれ、二人は目に入れても痛くないほど溺愛しておりました。しかしその一方、昔の暮らしとついつい比べてしまい、子供の行く末が不憫でよりいっそうかわいがっておりました。




 そんなある日、その子を寝かせて夫婦は近所のお茶会に呼ばれていきました。田舎でありますからねぇ、つきあいというものがあったのですよ。その留守中、猿はいつもの事を思い出したのでしょうねぇ。湯を沸かし、たらいに一杯汲み入れ、湯の加減を見ずに子供を丸裸にすると、恐ろしいことにお蘭がするそのままに湯の中に入れてしまったのです。赤子はわっと言ってそのまま息絶えてしまいました。
 この声に驚いた夫婦が急いで戻ってくると、かわいい子供は茹で海老のようになってしまいまして、皮もつるりとむけて二目と見られない姿になってしまっておったのです。夫婦の嘆き様は尋常ではなく、自分が代われる物ながらと声を上げて泣き噎ぶ姿は同情すべきものでございました。次郎右衛門も畜生とはいえあまりにひどいと嘆くも、かわいそうな運命だったのだとあきらめ、あきらめながらも涙は止まりません。お蘭は仇を捕らえて殺そうといたしますが、次郎右衛門がそれを押しとどめました。仇と思う気持ちはあれども、殺生は子供の菩提のためによくない。孝行しようと思ってしたことだろうが、畜生ゆえ知恵がないのは仕方がないとお蘭を諫めましてね。猿も自分のしたことを理解したのでしょう、涙を流して手を合わせておりました。そんな猿を殺すのも酷いように思ったお蘭は、ひとまず息子の骸を荼毘に付したのでございます。




 それからこの猿は七日ごとに墓場へ参り、季節の草花や樒を備え、一日三度ずつ手を合わせ涙を流しておりましたが、百日目にあたる朝、水を静かに手向けると、自らの喉を竹の尖りで突き通して死んでしまいました。それを見た夫婦は、子供亡き今猿のみが唯一の慰みであったのに、と残念がりながらも、それだけ済まないと思っていたのだろうとその心根に感心しましてね、子供の隣に猿塚を建てたのですよ。
 ほら、あなたも見なさったでしょう? 猿塚の隣の小さな墓を。あれがその夫婦の息子なのですよ。




 さあ、もうだいぶ夜も更けて参りました。あなたさまさえよろしければこちらにお泊まりになったらいかがでしょうか? なにぶん婆の一人住まいゆえ、夜は恐ろしくまた寂しいものであります。あなたのようなご立派な方をお泊めするには忍びない粗末な小屋ではありますが……。おぉ。泊まってくださいますか。ありがとうございます。ありがとうございます。
 では湯の用意を致しますゆえ、少々お待ちくださいませ。なに、ご心配いらずとも、もう以前のような失敗は致しませんよ。




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