秋と言ったら



 芸術の秋。


 ってなわけで、朝っぱらからクラシックなんか流している。
 ラヴェルの、ボレロ。
 単調且つ重厚な音色が、寝ぼけた頭を緩慢に解きほぐしてゆく。
 目覚めとまどろみの入り交じった、けだるい感覚に終止符を打つべく、私はティーバックで淹れた、むやみに渋い紅茶を小指を立てて優雅に啜り……。
 オーディオの電源を落とし、テレビの電源を入れた。
 『……のニュースです。Y県S市の山中で発見された、子どものものと見られる白骨死体の身元は依然判明せず、県警では骨の状態からここ数ヶ月に……』
 テレビがいつも通り、ほの暗いニュースを淡々と知らせてくれる。
 うん。これでこそ朝。
 さわやかな休日の、いつも通りの朝だ。
 私はひとつのびをする。
 慣れない行動を取ったからか、朝から少々疲れた。
 クラシックなんて聴いても、肩が凝るだけだ。
 典型的小市民の私には、朝のニュースの雑音が心地好い。
 久方ぶりの休日。それも連休の初日。
 窓の外に目を向ければ、空は青く透き通った秋晴れ。
 ひとまず溜まった洗濯物を干そう。それから部屋を掃除して、買い物も……。
 チーン
 トースターが音を立てる。
 いけない。これじゃまったくもっていつもの休日だ。
 せっかくこんなに良い天気なんだし、今日は秋を満喫しに行こう。
 洗濯その他は明日にまわそう。何せ連休だ。一日くらい無駄に使っても平気だろう。
 その前に、栄養補給だけれども。




 スポーツの秋。


 こんな天気の良い日に引きこもっているのも何だかもったいないので、ちょっと遠くの森林公園まで散歩に行くことにした。
 「公園」と言っても名ばかりで、ご多分に漏れず、ちょっとベンチや売店がある程度。遊具なんてブランコ一つ無い。池だか沼だかの水たまりはあった気がするが、お世辞にも管理が行き届いているとは言い難い、好き放題に繁茂した水生植物の影に、濁った暗い水をたたえていたのを記憶している。
 そんな場所だからか、市民の憩いの場であるというのに、桜の季節に多少にぎわうくらいで、普段は閑散としたものだ。近所の小学校やら幼稚園やらが遠足に来るくらいか。広さもそれほど無く、一時間もあれば一周できてしまうから、ちょっとした子供だましの遠足であれば十分な立地なのだろう。自然だけは豊富にあるから、何もなくても子どもはそれなりに楽しめる上、情操教育の一環としての面目も保てる。
 今の時期ならば、紅葉が見頃だろう。
 紅葉があるかどうかはわからないが、あれだけ木があるのだから探せば見つかるかもしれない。紅葉がなかったとしても、銀杏くらいはあるだろう。でなかったら、栗だとかドングリだとか。それくらいは無ければ、森林公園と認めないぞ、私は。
 何だかんだで、私はわくわくしていた。なんちゃってハイキングだなんて、いかにも秋、って感じだ。
 私は昼食用にと、冷蔵庫から頂き物のブロックハムやスライスチーズ、食パンなどを取り出すと、少し大きめのショルダーバックのなかに詰め込んだ。水筒と、取り分け用のナイフも放り込む。
 外で読書というのも乙なものかもしれない。そう思い立って手近な文庫本も放り込んだ。
 その他必要そうなものを一通りそろえて、私は玄関の戸を開けた。




 読書の秋。


 肌寒さを覚えて目覚めると、周りはすでに夕闇に閉ざされかけていた。
 日頃の運動不足が祟ってか、たった三十分の道のりをひいこら言いながらたどり着いた私は、当初の目的を早々に放棄して、目についたベンチにどっかりと座り込んでしまった。
 座ってしまうと、つい根を張ってしまって、その場から動けなくなった。そのまま数組の家族連れが目の前を通っていくのをぼんやりと眺めつつひなたぼっこと洒落込んでいるうちに、どうやら眠ってしまったらしい。
 何の気なしに入れてきた本が、ベストセラーだと銘打っていただけの、退屈な新書だったことも一因だったに違いない。
 私は慌てて起きあがると、散乱した荷物を回収する。
 結局秋を満喫したとは言い難い、単なる怠惰な休日となってしまった。
 私はひとつ息を吐く。
 これだったら家で大人しく洗濯やら掃除やらやっていた方が有意義だった。
 秋の日暮れは早足で、もはや周囲は真っ暗だ。
 ちらほらといた家族連れも見かけない。
 売店はとっくに閉まっているし、文字どおり人っ子一人見あたらない。
 唯一、頼りない外灯が、耳障りな音をさせながらちかちかと瞬いている。
 ギャァッ
 烏の鳴き声と羽ばたきに、私は身をすくませる。
 気味が悪い。早く帰ろう。
 私は慌てて荷物を詰める。
 何よりこれじゃあ、何かあったとき助けを求められな
「動くな」
 温くて柔らかい何かが、私の口と身を拘束する。
 驚きに硬直したままの私の耳に、熱くて臭い息が吹きかけられている。不快感に肌が泡立つ。
「若い女の子が、こんな人気のないとこにいちゃぁ、ダメじゃあないか」
 粘つく声。荒い息づかい。無駄に熱い体温。
 痴漢。
 分かっていても、何も出来ない。指先ひとつ動かせない。
 私はずるずるとそのまま近くの藪に引き込まれ投げ出される。
 小枝で擦ったのか、頬や腕がぴりぴりと痛む。
 私は震えながら、目の前でいやらしく笑う男を見る。
「へへっ、大人しくしてりゃぁ、悪いようには……」
 男の言葉が唐突に止まる。と言うより止めてやった。
 小さなナイフの柄が、男の腹から生えている。
 絶句している男を蹴倒しつつ、ナイフを抜く。
 ちょっとだけ鮮血が吹き出して、私の腕を濡らす。
「な……、な……」
 男がうわごとを漏らす。うるさい口をふさぐべく、私は馬乗りになり、血まみれの手で男の口元を握った。
 首に、渾身の力を込めてナイフを突き刺す。びくん。男の体が震えた。少し刺さったが、それ以上は私の腕力では無理そうだ。仕方がないので、立ち上がって足で柄を踏みつける。
 ぴくぴくと痙攣して、男は絶命した。血とアンモニアの匂いがあたりに広がる。
 私は立ち上がって、息を整える。のびをすると、関節がばきばき鳴った。久しぶりだったので肩が凝った。首をぐるぐると回す。
 もしかしたらまだ使えるかもしれないと思って、ナイフを回収してみようとしたが、手元がぬめってうまく抜けない。これは諦めてどこからか解体道具を調達してきた方がよさそうだ。出来ればのこぎりなんかが良いだろう。
 おあつらえ向きなことに、ここは森林公園なんだし、どこかに一応の手入れ道具は揃っているはずだ。探してみよう。
 それにしても。
 私は男をじっくりと見る。年齢は三十代くらいだろうか。ぽっこりと膨れたお腹が、私の胸を高鳴らせる。
 これならば、良い霜降りが期待できそうだ。内臓はあまり良くなさそうだけれど。
 前はいつだったっけ。二ヶ月前かしら。あの時は子どもだったから、柔らかくて美味しかったけど食いでがなかった。
 これなら満足に味わえそうだ。
 私は鼻歌でも歌いたい気分で、藪を飛び出した。
 やっぱり秋は、食欲の秋、よね。




▲戻る